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平成20年3月23日(日曜)に京都で「女性の視点で考える福祉住環境」についてをテーマにタウンミーティングが実施されました。その中で今回は当協会の理事である、樋口恵子氏に「介護の課題を巡って」の題で講演をいただきました。
「介護の課題を巡って」 - 東京・高齢社会をよくする女性の会 樋口恵子 氏
人生100年時代へ

樋口恵子 氏
今本当に大変な時代です。大変というのは大きく変わると書きます。何が変わる。幸いにして過去60年、世界大戦が起こっていない。世界大戦が無かったおかげで、地球上の人口の寿命が大幅に伸びた。これは人類の歴史においてかつて無かった寿命の延び方です。
これは人類が初めて長寿の普遍化を獲得した、20世紀の先進国においてやっと実現した大変化であると言うことを、もっと認識する必要があると思っています。
現在、世界の寿命の全体状況は、地球上70億近い人口のうち、過半数が人生70年〜80年。そして長寿という意味。一般的に高齢化のバロメータである65歳以上の7%を超えると高齢化社会と言われます。日本では1970年に高齢化社会の仲間入りをしました。いわゆる西ヨーロッパ、オーストラリア、カナダ等は既に高齢化社会に入っていました。
以降、アジアでは日本一カ国であった高齢化社会ですが、2000年に至って、台湾、香港の二カ国。そして韓国とシンガポールが高齢化社会へと突入しました。
21世紀に突入すると中国。そしてインドが恐らく高齢化社会へとなります。中国は13億以上、インドは11億とも12億とも言われる人口を抱えており、地球上で最も人口が多いのがアジアです。
この事から、21世紀はある見方をすれば、アジアの急激な高齢化の世紀です。地球上の人口の6割を占めるアジアの主要国が高齢化社会に入れば、世界のうち過半数は高齢化社会になり、高齢化社会になると、男女の平均寿命が75を軽く超えますから、人生80年社会が実現した。ということになります。
そして、地球が大混乱や、大災害、戦争等が起こらず、うまく回転すると、地球丸ごと高齢化していくということは、誰しも一致しているところです。
ご承知の通り、豊かなところから高齢化は進んでいきます。生活水準が高くなければ、人は亡くなっていきます。平和でなければ高齢社会は訪れません。
現在でもアフリカの10ヶ国地域ぐらいは、平均寿命がいまだに40代である地域がまだあることを思い、忘れてはいけませんけれども、私たちが目指す社会は、平和で一定の豊かさ、一定の公平さをもって、その国内にわたり、できるならば地球内の各国とその豊かさを分かち合い、全地球の平均寿命を上げていく事。という風に思うと、高齢者社会・長寿社会というのは我々にとって必然の良き未来であり、私たちは幸いにして高齢社会の先進的な立場に置かれています。
人生80年・90年・100年。私は人生100年というものをつけて、人生100年教の教祖になろう。人生100年すべての世代に居場所と出番というのが私の標語でありまして、住まいのあり方も地域のあり方も、人生100年の一人一人にとって居場所と出番を保障するものであってほしい。とつくづく思っています。
日本のこれまでの住まいについて
長いこと人生50年。そして今、人生100年いってもオーバーではありません。現在の男子の平均寿命は79に達しました。女性では85.81に達し、人生100年の個人の生活設計を立てなければならない。その生活の器である住まいも、人が人生100年生きるという前提でもって住まいの設計をしてほしい。人生100年の住まいが、日本中その地域の中に用意されている街づくりをしていく必要があると思っています。
我々は、ハード的な面もそうですが、ソフトも含めて人生100年を設計していく初代の人間であって、試行錯誤があってあたりまえだけども、長寿社会・高齢社会は必然の現実であり未来でありますから、試行錯誤を恐れず、知恵を集めあってやっていこうということであります。
大きく変わるということですが、人生50・60年が親から引き継いだ生き方であります。住まいに関して国策もそうだったと思いますが、日本の政策にとって住宅に福祉生活保障が入らなかったことが大きな間違いであって、北欧などの社会では住宅が基本に来ているというのはよく言われることです。
確かに日本の場合は住宅政策がなかったわけではありません。戦後50年経つと、日本住宅公団法ができて、団地族が生まれ、中高層の公的機関が建てる住宅が広まっていきました。
それから住宅金融公庫を作り、企業などと連携をとり、できるだけ一人でも多くの国民に、特に雇用者たちに持ち家を持たせようとする政策。ひとつの資産形成であり、政策としては国民の心を安定させ、前向きにさせる。家を持つという目標を持たせる。という政策であったろうと思います。
と、同時にこの持ち家政策を、住宅に関する需要の水準を上げ、ディベロッパーと言われる人たち、住宅産業の交流というのに大変大きな力があったものと思われます。
あえて言えば、日本の住宅政策は、産業育成と個人の資産形成・持ち家政策。この二つしかほとんど無かったといっていいと思われます。今こちらも大きく変わりつつあり、やっと福祉の枠の中に住宅を考える。だから福祉住環境コーディネーターさんなどがいらっしゃいますし、介護保険の中にも住宅改修等、色々入ってきています。
高齢住宅支援相談員
つい最近、国交省と厚労省と一緒に始めた政策で、まだ本当に試行でありますけれども、東京都の高齢者住宅支援員研修会というのに呼ばれました。高齢者住宅支援員というのは国家資格でもなんでもありません。でも国がこういう人たちを増やそうということで、今年は東京の他、計3箇所に予算が付きました。
研修会に行ってみましたら、驚きました。高齢者住宅支援員の第一回研修会では500・600人の教室が、人いきれする状況でした。これは新聞でちょっと出していたというのではなく、ある分野にお誘いをかけたら、それだけ集まったということです。
参加者は、まず、ケアマネさん。それから公的な方だと地域包括支援センターの職員。私的な方だと集合住宅の管理委員組合。マンション、集合住宅の管理人をしている会社とか組合、半分はそういうところの方だと思いました。
集合住宅や団地の管理人が昔から居たわけですけれど、その人たちの役目が大きく変わってきた。極端なことを言えば、孤独死、孤立死をどうすれば予防できるのかということを含めて、要介護あるいは要支援に近いお年寄りが住む、しかも一人ないし二人の家族で住む。政府はそういう人たちにヘルパーをやれと言っているわけでは全くありません。その地域の、例えば包括支援センターとか、色々な行政に、あるいはNPOに、あるいはボランティアグループに、そういう見取り図を頭に入れて、こういうときはここへ繋ぐという知識をしっかりとつけて下さいよと。この知識をしっかりとつけた方こそ高齢者住宅支援員という言葉にふさわしいのではないでしょうか。という提案の段階であります。
恐らく、これは広がります。都市近辺では特に。そういうときに我が福祉住環境コーディネーターの方々も何らかの関与ができるようなご用意をなさっておいたほうが良いのではないだろうかと思っています。
これまでの世代の「住宅すごろく」と同居の減少
我々世代、昭和30年から40年代に結婚した私たち。結婚したときの住まいは意外にも間借りというのが多かった。極賃アパートですらない。誰か豊かな家の離れか何かを借りる。そのうちに極賃アパートがたくさんできてまいりますからその、極賃アパートに移ります。
三尺の半分を使って研ぎ出しの流しがあって、その半分に達磨式の昔のコンロがおいてありました。キッチンは三尺でした。それでも独立した台所があるだけでもみんなうれしかった。トイレは共通、風呂は外。こうした住まい方をして都会のサラリーマン、今の60〜70代は出発するようになりました。
そして、そのうちに公団住宅がたくさんできるようになりましたので、応募するわけです。何回も外れますけれども、そのうちにあたって、2DKの団地に入り、天にも昇る心地がするわけです。部屋が複数あります。お風呂が中にあります。トイレは水洗です。寝る部屋と食事をする部屋、狭いダイニングキッチンですけれども、そこで、食堂の真似事のテーブルを置いてお食事ができるわけです。天にも昇る思いでございました。
そのうちに、一人、二人と戸建の家を建てて、少し郊外だけども引っ越していく仲間が増えました。そうすると子供がもう二人生まれて小学校。今のうちはお兄ちゃん、妹と一緒でいいけれども、今時の子供を思春期に性別の違った子供を同じ部屋に寝せることがいつまでできるかしら。と、親は必死に頭金を貯めて、そして融資を受けて、子供たちにとっては念願の犬を飼う事ができるのです。これも大きいのです。庭付きの赤い屋根の白い壁。そういう家を建てて、そして郊外の、今の団地よりは不便になったけれども、子供一人一人に部屋を与え、犬まで飼って、これでローンさえ払えば住宅すごろくはあがりのはずだったのです。
実はよく考えれば、その後に自分の老いをいったい何処で住まうのか。終の棲家が何処にあるのかということは、実はそのころからあったのですけれども、あまり考える暇もなく、考えたくもありませんでした。
人によっては、大きい敷地を買って、二世帯住宅を建てて、子供が住んでくれないかしらといった人もいましたけれど、これはほとんどの子供は出払ってしまっています。
この間、NHK番組のクローズアップ現代で、そのときのお年寄りと言われる60歳以上の人たちの、これからの同居、別居志向を1995年と2005年の10年間、間を置いて聞いているんです。
95年の時は、お年寄りのうちの60%の人は、今同居している人も、今別居している人も、いずれ同居するだろうと思っていました。
同じ聞き方を2005年にしてみたところ、わずか10年間に、いずれ同居だろうと言った人は20ポイント減って40%になってしまいました。これからさらに10年経った2015年に同じ調査をしたらいいと思いますけれど、ここで20%減ると、同居志向がわずか20%になってしまう。20ポイントの減り方というのがものすごく大きかったから、今度はどこまで減るかわかりませんけれど、少なくとも10ポイントは下がるでしょう。これは3つ理由があると、コメンテーターで出たとき申し上げました。
同居志向の減少理由 その1・老後の時間が長くなったことによる、不本意同居の失敗経験の蓄積
ひとつは老後という時間がものすごく長くなってしまった。老後というのは、寿命が長くなって初めて生まれたのです。いろいろ変わるのが当たり前なのです。昔は老後というのは定年が55でしたけれど60までに亡くなってしまう人が多かった。昔の老後は定年後2〜3年だったのです。今、60歳まで生きた人は、人口推計によると、約6割が90歳まで生きるそうです。
60歳まで生きた人の過半数が90歳まで生きるということは、本当に新しい老後、第二の人生の誕生でありまして、今までの勤めていた人生と同じくらい長くなりましたから、この中の生き方も多様多彩。今まで先祖が経験することができなかったことが生じています。
今の同居について言いますと、こんなに時間が長くなってしまっては、同居していると、息苦しくてやれません。昔の嫁がずっと辛抱できたのは、嫁にいって10年もすると、舅、姑がみんな死んでしまったからです。正直言ってそうなのです。これはライフサイクルを人口に当てはめてみると非常に良くわかります。田舎に行くと嫁のつらさを言った言葉に嫁泣き3年辛抱10年といいます。少なくとも10年から13年には両方とも世を去って、30代の女ざかりの嫁に一家の実権は移るのであります。そして、親に従順だったような男は、妻にも優しい。妻の天下がずっと続き、そして、その妻が40代の半ばを過ぎるころ、長男が嫁を迎え、そして10年ほどの間、姑として君臨するのであります。これが人生50年社会の言ってみれば、ライフサイクルでありました。
それが、現在の長子の結婚から考えると、もしずっと同居すると同居期間は30年、40年に及びます。この期間どっちがどれだけ辛抱できるか、嫁の辛抱もせいぜい10年でありましょう。日本型の嫁 - 一方的に辛抱して家風に従えという形は、これが悪いとか良いとかではなく、なんとかもってきたのは時間が短かったからです。それが途方もなく時間が長くなった。やはりそれぞれの人生のプライバシーというのが大事です。
面白いのですが、ある時期までは、子供夫婦は経済さえ成り立てば、別居したかったのです。ところが親のほうは、世間体というものがあるし、いつまでも親をほっておくとお前が親不孝と思われるから。というので、本音はどうかわかりませんが、親はとにかく一緒に住みたかったのです。
ところが、子供と一緒に住む。1980年代に実は東京のような大都市で見ておりますと、都心というのは大都市周辺の新興住宅地の多いところに、80代になっての転入が非常に目立つようになりました。
戦前は都市に人口が集中するといいましても、都市にやってくる人はみな次男以下でありました。長男は豊かな家も貧しい家もその家の跡取りとしてその家に残り、次男以下が職を求めて、上りの片道切符もって、大都市を目指してやってきたわけであります。ですから、親の面倒は、長男夫婦がみればそれでいいわけです。しかも面倒を見る時間はごく短かった。
ところが、日本の高度経済成長は、長男まで根こそぎ都市に呼んできてしまったわけです。親夫婦が二人家に残された。そして1980年ごろ第一次高度経済成長を担ってきた人の親が80前後になって片方死んだり、両方体が衰えたりして、当時50前後だった都市の管理職である息子たちが、みな親を呼び寄せたわけです。「呼び寄せ老人」という言葉が生まれ、NHKの番組などにも何度も取り上げられました。
そのうちに行政はこの「呼び寄せ老人」のことを「不本意同居」と呼びました。この「不本意同居」と呼ばれるものは、本当に喜んで同居するわけではない、子供はもちろん親だってそれほどでもないのだけれども、親たちは、長男と住むのは当然だろうと思っている。長男が東京で居を構えて、大企業の管理職にもなっているんだったら、親を引き取らないと、周りから白い目でみられる。だからというので、一緒になる。
しかし、ここで大体失敗したのです。息子夫婦が築き上げた生活の中に呼び寄せられていく年老いた老親は、これまでの環境から切り離され、親しい人間から切り離され、習慣から切り離される。そして、「Uターン老人」という言葉を作ったのです。
家族は居なくても、自分の家で暮らすということ。自立ということ。このことに関しての考え方が変わっていったんだと思います。かつての在宅は子供とともに暮らすということでありました。身の回りに、自分より下の世代の家族が一緒にいて面倒を見てくれることでありました。今在宅の概念はこう変わったと思います。自分がそこで引き続き自立して生きてきた経験を持つ。物理的心理的空間、物理的精神的空間。これが在宅の基本になったのではないかと思います。
自立して生きてきた継続性のあるその経験を踏まえた、物理的精神的空間というものを保持していく。それを子供が居なくても在宅、というようになったと思います。
同居志向の減少理由 その2・年金制度が成熟
これも実利的な理由です。年金制度が一定程度成熟し、年金の範囲内で少なくとも生活の基本がやれる人々が増大した。これが無かったら別居できません。経済的に自立できる高齢層がだんだん増えてきました。
同居志向の減少理由 その3・介護保険
もうひとつの理由が、まさに介護保険であります。介護保険は地域で老いを支えようという思想のもとにできた保険です。今で呼ばれる要支援、要介護1・2でしたら、うまく使えば一人暮らし、あるいは老夫婦暮らしが多いです。二人いる間は片方が要支援で、片方が要介護2とかでしても、特に介護保険をもって一定程度支えられる仕組みができたことです。
未婚の子供との同居
全部の総合作用として日本の高齢世帯の中で、親子同居している人は48.4%で、半数を切ってしまいました。しかも、この48.4%の中で、いわゆる三世代家族というのは、30%をきっております。
親子で暮らしているからといって、三世代同居は約30%、残る18%はというと親と独身の子。もしくは子供の居ない子供と同居している。これから高齢者の住まいの中でむしろ非常に増えていきそうなのは、未婚の子供との同居です。
老々家族といいますと、老いた夫と老いた妻。それから珍しくないのは老姉妹家族でした。このころ増えてきたのは老々親子です。初老の子供と老いたる親。非常にある意味で、住宅支援員や民生委員の方が気をつけてみないといけないのは、80代以上の母親と中年初老の独身の息子の家族。偏見を持ってはいけませんが、高齢者虐待というのが一番多発していることも確かであります。
地域の連携・コミュニティ作りの大切さ
これから、年老いていく80代、70代の子供たち、つまり、40代、50代から生涯未婚率が男女とも非常に高くなります。特に男性においてはもうじき4人に1人が生涯未婚ではないだろうかと呼ばれるくらい、生涯未婚率が高まっております。
そうすると、どうしたって女のほうが長生きですから、多少男女の違いがあるとすれば一人暮らし高齢者の中で、4人に3人が女であるということです。これはしょうがない。平均寿命の差と夫婦の年齢差からして、女の人はどうしても終の棲家というのをより強く考えるであろう。でも、男の方の一人暮らしもこれから増えていきます。現に4人に1人です。そしてもう10年先の2015年には3人に1人が男の方になっているだろうと。平均寿命の差から、これ以上男女の差が縮まることはあまりないと思いますが、少なくとも一人暮らし高齢者のうち、やがて3人に1人は男性が占めてくるということを思うと、男女の差ということはなく、きちんと考えておいたほうがいいだろうし、ただし、一人暮らしになったときの男女の差というのは断固としてあるのです。
どういう差があるのかというと、同じ一人暮らしでも、男の方の一人暮らしは、どうしても規則正しくというのがダメになります。食事をきちんと取るというのがうまくいっておりません。女の人は一人でも割合適切に正しく生活し、食事をきちんと取るなどできております。
また、女の人は一人暮らしでも、付き合う人間関係とか、会話をする人とかが割合多い。男の方は非常に孤立しやすい。
もう、職場が引き出してくれませんから、地域の中でかかわっていき人見知りを作る。そうしないと引きこもりになる。引きこもりから鬱になる。鬱からある日、孤独死になる。
たまたま一人でいるときに、死が訪れたらこれはしょうがない。それが一週間経って、十日、三月経って、近所の人がこれは何のにおいだろうと思って騒ぎ出してやっと見つかるという。私は孤独死と、孤立死はわけたほうがいいと思います。でも普通の付き合いがあったら、まず三日から一週間くらいの間に発見されるのが当然でありましょう。それが一月、三月ともなりますと、その人が孤立して生きていたことの証であろうと思います。
このように人生が大きく変わり、住宅が、家が持ったらこれで終わり。と思ったらとんでもないことです。
自立して生きやすい住宅とは
また、自立して生きる高齢者にとって、足というのは大問題です。街づくりという点で交通というのは大問題となってきます。本当に自立して暮らそうと思ったら、地域の中にどのような買い物にいけるところがあるのか、医療機関があるのか、そこへのアクセスがどうなっているのか、これも重大なことです。
私ども、高齢社会を良くする女性の会では、数年前、会員の60歳以上にどのような施設が地域の中にあるのが必要かどうか、歩いていける範囲に何がほしいかといったら、第一が病院、医療施設。第二番目が買い物でした。これは本当に大事なことですし、そういう人の助けを借りなければいけなくなったときに、世話を受けやすい住宅。まさに皆様の出番だと思うのです。
自立して生きやすい住宅というのは、ある程度の手助けが必要になったとき、どのように世話をしてくれる人が入りやすく、かつ安全で、という、言ってみれば、介護しやすく、されやすく、両方の意味から住宅環境も考えなければならないし、街づくり全体への視野も必要ではないかと申し上げます。
- 樋口恵子 氏 プロフィール
- 東京・高齢社会をよくする女性の会 代表。 1956年東京大学文学部美学美術史学科卒業・東京大学新聞研究所本科修了。時事通信社・学習研究社・キヤノン(株)勤務を経て評論活動に入る。東京家政大学教授を経て、「女性と仕事の未来館」の初代館長をつとめるとともに、総理府男女共同参画審議会委員など多数の公職をつとめる。「樋口恵子の元気が出る老い方」「ワガママなバアサンになって楽しく生きる」など著書多数。当協会理事。
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